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修学旅行 沖縄 4日目(最終日)☀

11 16, 2018
沖縄 4日目(最終日)

本日は最終日!
朝から天気は生憎の雨…。
でしたが、午後からは快晴で、天気は私たちの味方をしてくれたみたいです(^^)

1・2号車と3・4号車で帰りの飛行機の時間が異なるので、別々に行動しました。

1・2号車のルートは
轟壕→国際通り→那覇空港→セントレア

3号車のルートは
山城本部→ひめゆりの塔→健児の塔→国際通り→那覇空港→セントレア

4号車のルートは
アンティラ壕→ひめゆりの塔→健児の塔→国際通り→那覇空港→セントレア

3・4号車はひめゆりの塔から合流しました。

○轟壕
轟壕①

ボランティアガイドの方に次のような説明を受けました。
「内部に川が流れる「轟壕」は、東西におよそ約100メートル延びる巨大なガマ。沖縄戦が始まる前から、周辺住民の避難壕として整備、使用されていた。戦中は最大1000人以上の住民や日本兵が避難していたとされる。
昭和20年(1945)6月5日、当時の島田叡(しまだあきら)沖縄県知事以下、県庁職員幹部が避難。15日、島田知事は、部下に行動の自由を与えるため警察部を含む県庁解散を宣言。これにより「沖縄県庁最後の地」とも言われている。
その後、島田知事は摩文仁の軍司令部壕に向かうため壕を出立。その後、入って来た日本兵により、住民や県庁職員は壕内の湿地帯に追い立てられた。
18日米軍が壕を攻撃するも日本兵は住民の脱出を許可しなかった。しかし、24日すでに捕虜となっていた県民の説得により約600人の住民が投降。米軍に保護された。」
轟壕①

事前学習でも触れましたが、実際に現地に来たのは初めて。生徒たちはガイドさんの話に真剣に耳を傾け、当時の住民の方々の苦難を想像していました。

足場の悪い中、内部へ下っていきます。
轟壕②

内部に到着すると、水の流れる音がします。当時の人はこの水を飲んでいたようです。
真っ暗な壕の中、懐中電灯なくしては一寸先も見えません。
当時の人々がどれほど過酷な状況な中で過ごしていたのかと考えると、心が重くなりました。
轟壕③ 内部

轟壕から出ると、ガイドさんにまとめのお話をいただきバスに戻りました。

少ししんみりしていましたが、今回の学びの中でも一番大切な所です。
何を感じ、何を学んだのか。
これからの社会を作っていく生徒たちの心に変化があったことだろうと思います。

さて、次は国際通りに向かいました!
a2_01_1.jpg

昼食とお土産の購入を済ませ、那覇空港へ。
前半組の1・2号車はここでセントレアへ向かいます。
那覇空港登場ゲート

海の体験やタクシー研修で目一杯楽しんだり、沖縄戦を学んだ平和学習と盛りだくさんの修学旅行もこれで終わり。
疲れた顔にも少し寂しさが見えていました。是非また訪れてみてください。

セントレアに到着

セントレアに到着。
班ごとに荷物を受け取って解散しました。

長いようで短かった修学旅行。
生徒たちにとってきっと実りあるものになったと思います。

今回学んだことは、修学旅行展で展示発表されます。
どうぞご期待ください。

最後になりましたが、修学旅行沖縄コースに関わってくださった方々みなさん、どうもありがとうございました。
保護者の方々を初め、沖縄の現地の方、旅行会社の方々に大変お世話になりました。
おかげさまで、生徒たちに充実した時間を提供することができました!
是非、今後ともご協力の程、よろしくお願いいたします。
Posted in 修学旅行
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